『Milk inside a bag of milk inside a bag of milk』O『Milk outside a bag of milk outside a bag of milk』

あなたが見ている世界と違う世界を語る少女がいる。少女が語る世界を、あなたは理解できるだろうか?

『Milk inside a bag of milk inside a bag of milk(以下、Milk1)』および『Milk outside a bag of milk outside a bag of milk(以下、Milk2)』は、ひとりの少女を主軸においたアドベンチャーゲームだ。Nikita Kryukov氏が開発を行い、ローカライズは『Milk1』をMohiMojito氏、『Milk2』を渡邉里菜氏と高橋 温氏が担当した。日本語化以前よりSteamユーザーの心を掴み、Steamストアのレビューでは『Milk1』『Milk2』ともに「圧倒的に好評」と評価されている。
赤を基調としたサイケデリックな色調とレトロライクなドット絵のビジュアルが目を惹き、タイトル名にも入れ子構造の狂気が感じられる『Milk』シリーズ。このゲームを見て、筆者は『serial experiments lain』や『ゆめにっき』系かと思った。だが実際にプレイしてみると、『沙耶の唄』を思い出した。(この3作が好きだという人はハマると思うので、ぜひプレイしてほしい)
『Milk1』と『Milk2』は、2つで1つの物語を構築している。『Milk1』をプレイしたなら『Milk2』もプレイした方がいい。『Milk2』が気になっているなら『Milk1』もプレイするべきだ。
あなたが見ている世界と「違う」世界を見ている少女がいる。少女が語る世界を、あなたは理解できるだろうか?

Milk inside a bag of milk inside a bag of milk

『Milk1』は、ビジュアルノベル形式の選択式2DテキストADVだ。プレイ時間はエンディング到達まで約10分と短い。エンディングはトゥルーエンドとバッドエンドの2種類。実績は3種類とライトな作りだ。ゲームの内容も、ひとりの少女が牛乳を買いに行って家に帰る過程を描くというシンプルなもの。ただ、少女は病んでいる。まとまらない思考を抱え、妄想に耽り、いない人物と話し、歪んだ世界を見ている。赤と黒が目に焼き付く、認知の狂った幻覚世界に少女はいる。

プレイヤーは、少女の「頭の中の声」だ。少女は「ビジュアルノベルのようにやれば、牛乳を買うというミッションもこなせる」という。プレイヤーは「頭の中の声」として、少女と接する。つまり俯瞰的に見れば、プレイヤーはゲームの中に「実在しない」。しかし少女の「世界」には存在する。客観的に実在しないものとしての「プレイヤー」が少女の世界に存在し、少女と会話しながら目標を達成するという点が、他のアドベンチャーゲームには見られない特徴だろう。開発者Nikita Kryukov氏は本作を「個人的なセラピーの要素を持つ」という。インディーゲームの妙だ。個人開発ならではのセンセーショナルなシナリオは、プレイヤーの心臓を抉る。

プレイヤーの選択肢が限られているのも興味深い。少女が作り出したプレイヤーは、完全な少女のパートナーたりえない。プレイヤーの意思と反する選択肢が並ぶ場面もある。それらは攻撃的、あるいは自虐的、もしくは自暴自棄に映る。だがプレイヤーが少女の意にそぐわない選択を続けた場合、「現実には存在しないもの」は存在しなくなる。メタフィクションとインタラクティブフィクションを含有する狂った世界は、精神的恐怖でプレイヤーを「こちら(inside)」へと浸食する。

Milk outside a bag of milk outside a bag of milk

『Milk2』は、ポイント&クリック形式の選択式2DテキストADVだ。マルチエンディングを採用しており、エンディングは5種類、実績は10種と一気にボリュームが増した。特にアニメーションのOPとED(※共通)がつき、ピクセルグラフィックも全体的にパワーアップ。ゲームの内容はというと、少女の部屋に散らばった「思考のかけら」を探すというもの。『Milk2』は、『Milk1』のエンディングから始まる。

正視に堪えない世界、妄想と現実の境目のない家の中で、少女は自分の部屋に辿り着き、眠れない時間を過ごす。その時、一次妄想的に服薬した結果を自慢したい相手として呼び出されるのが「プレイヤー」だ。『Milk2』で、プレイヤーは少女の「イマジナリーフレンド」だと判明する。プレイヤーの意にそぐわない否定的な選択肢も健在だ。今回はまとまらない思考をホタルに見立て「ポイント&クリックのアドベンチャーゲームのようにやれば、前と同じにうまくいく」と、イマジナリーフレンド・プレイヤーは少女の試みに付き合う。

クリックするオブジェクトや会話の選択肢によって、プレイヤーは少女が認知の狂った世界へ至った契機を観測する。だが少女は「イマジナリーフレンド」プレイヤーとも会話のすれ違いを起こす。話す内容も、まとまりを欠いて一貫性がない。ぽつりぽつりと語られる少女の過去も、曇ったレンズを通した抽象画のようで、全容が分からない。さらにプレイヤーは、少女の行動を変えることが「できない」。問いかけによっては、少女が精神的な死を迎える場合もある。プレイヤーが少女に何を話しても、何を選んでも、何を示しても、少女は少女の思考で埋め尽くされた世界から出てこない。少女を蝕む悪夢は、「プレイヤー」を「そちら(outside)」へと突き放す。

She is (not) crazy, her reality is just different than yours and yours and yours and…

ディスコミュニケーションで構成されている『Milk1』と『Milk2』。少女と適切なコミュニケーションが取れないのは、少女の認知が狂い、世界そのものが歪んで見える精神疾患にかかっている証左だ。しかし忘れてはならないのは、「プレイヤーも少女と同じ世界を見ている」こと。何よりプレイヤーは「少女の狂気」と「現実世界」の境界に立つ、傍観者であるという点だ。
認知の狂った少女の主観を傍観するゲーム、『Milk1』『Milk2』。”inside”/”outside”という表現は、”in”/”out”とは異なり「内と外を分ける『境界』を強調する」単語だ。
では「境界」とは何か。
先に述べた『serial experiments lain』における、仮想空間(ワイアード)と現実世界の「境界」でもあり、『ゆめにっき』における、部屋の中と外の「境界」でもあり、『沙耶の唄』における、正常な恋と異常な恋の「境界」でもある。いわば他と個の境目だ。少女にとってそれは、”inside(自分の世界)”と”outside(現実世界)”の間にある。

だが、少女の”BORDER(境界)”を決めたのは何なのか。狂った”insider”である「少女」なのか、”outsider”である「世界」なのか。正常な”outsider”である「プレイヤー」なのか、ゲームの”insider”である「少女」なのか。――『Milk1』&『Milk2』は、沈黙する。
プレイヤーに残るのは、傍観者が感じる諦観だけだ。我々にできることは何もない。少女は、狂った認知の世界で生きる。

こんな経験はないだろうか。好きなものが同じだったり、同じ場所で同じ時間を過ごしたりする内に仲良くなった人たちと、ふとした瞬間、「この人たちと自分は違うものを見ている」と疎外感を覚えたことは。我々にも、認知の歪みは存在する。リスキーシフトやアンカリングなどの「認知バイアス」も、『正しい』認知とはいえない。そう考えると、少女がいる世界と我々がいる世界も、大して変わらない気もしてくる。筆者も軽度の疾患を抱えているが、服薬で日常生活を大過なく過ごせている。精神疾患を取り上げるゲームに触れることで理解が深まれば、我々も白い目で見られずに済むのになと思う。だからこそ『Milk1』&『Milk2』を「ただの不気味なホラーゲーム」だと取り上げたくはない。

『Milk1』『Milk2』は作中BGMも最高だ。耳に心地よいサウンドスケープ、もしくはダーク・アンビエント。例えるならクラウス・シュルツェの「Irrlicht(イルリヒト)」だろうか。暗澹たる「O」を見上げられず慟哭を嚙み殺すだけの少女を包む暖かな暗闇を、秋の夜長に感じてほしい。
あなたが見ている世界と「同じ」世界を見ているプレイヤーがいる。プレイヤーが見た世界を、あなたは理解できるだろうか?
あなたは”inside”と”outside”のどちら側か、知りたくはないだろうか?

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Milk outside a bag of milk outside a bag of milk

タイトル: Milk outside a bag of milk outside a bag of milk
ジャンル: カジュアル, インディー
開発元: Nikita Kryukov
パブリッシャー: Nikita Kryukov
リリース日: 2021年12月16日